昨今の個人情報管理が厳しい世の中においてフルネームをネットで明らかにする意味はあるのかと思うのだが、そもそも私の個人情報に何の価値があるのかという話でもあり、世の中のほうが気にしすぎなのではないかという気がしないわけでもない。自転車で世界旅行をしている多くのブロガーは本名を明らかにしている。そこには自転車世界旅行をしていることへの誇りが感じられる。

鎌倉武士ではないけれど、やあやあ我こそはというヤツである。

私は佐藤建作。1973年日本の世代間人口最大の団塊ジュニア世代のど真ん中に秋田県に生まれ、今から思うと激烈な競争社会の中、少年時代は競泳選手として、社会人になってからは銀行員として働いていたが、積もった感情にあるとき急に限界が来て骨を埋めるつもりで12年働いた会社を退社。扱いに困るキャラだったので会社もホッとしたことだろう。

会社を辞めた後は、歩合のとある法律事務所で休日もなく働き当面の生活の糧を得たのち、充電期間として海外に出かけ興味本位でロシアに住んでみたりもした。それはそれで楽しかったのだが、何か吹っ切れない感情を抱えながら毎日を送っていた。

ある時、大学の夏休みに自転車で北海道を回ったことを思い出し、体力が衰えた今の自分でもできるだろうかと出かけてみた。苦しかったらすぐに帰ろうというぐらいの気持ちだったのだが、楽しくて気が付いたら三か月が過ぎていた。急用により旅は終わりを迎えたが、正直いつまでも走っていたかった。初日は50km走るだけで限界だったのに、三か月後には一週間毎日1000m以上の坂をを上り、120km以上を走ってもまだ走りたいと思うようになっていた。もう無理だろうなと諦めかけていたことができるようになる高揚感。

それから数年、北海道のすべての峠を越え、四国お遍路を自転車で回り、乗鞍をはじめ長野の2000m超級の数々の峠を越え、富士山に上った。まだまだ国内に行きたいところは多くあるけれど、世界の景色の中を走っている自分を想像し、行ってみたいという気持ちを抑えられなくなっていた。

行ってしまえば日常になることも出発前の今の段階では挑戦に思えるし、その不安が大きいほど乗り越えた時の喜びは大きなものとなるだろう。若い人らの輝かしい冒険心はないけれど、50歳を過ぎて人生の残り時間を考えた時、今自分がしていることはもう二度とないことなのだと思う気持ちは年齢を重ねるごとに強くなる。



旅に出ます。人生は短い。